vol.3
芳賀 京子 [大学院文学研究科 美学・西洋美術史研究室 准教授]

研究と子育て。どちらも完璧になんて考えない。“なるようになる”おおらかに楽しむ姿勢で。

人は頼り頼られ、生きるもの――地中海世界で過ごした日々が教えてくれたこと。研究のために、子どもをもつことをあきらめるとしたら、それはもったいないことなのでは? 子育ての楽しさを謳歌すべきと芳賀先生は語ります。

芳賀先生

アテネにて研究漬けの日々、成果は大著に結実。

美術史の学究の徒になろうと決めたとき、まず私がしたことはフランス、イタリア、ギリシアを旅し、美術品を自分の目で見て歩くことでした。もちろん全集などの大型図版を通じて鑑賞していましたが、実物が語りかけてくるものは雄弁です。中でも惹かれたのが古代ギリシア。ルネサンスやバロックも魅力的なのですが、キリスト教以前の古代ギリシアやローマの神々は、多様で個性的、おおどかなのですね。日本の八百万(やおよろず)の神にも通じるところがあります。良い意味でのいい加減さ、が心地よかったのです。

研究者としての岐路は、1995年4月から3年間、ギリシア・アテネにあるイタリア国立考古学研究所大学院に留学したことでしょうか。ここは毎年4人しか入学が許されない機関で、日本人としては私が初めて。他の3人のイタリア人は古代ギリシア語やラテン語に精通する精鋭で、「間違いない私がビリだ」と目の前が暗くなりました(笑)。そこからは“寝食を惜しんで”が控えめな表現と言えるほどの勉強に勤しみました。研究所は、ひとつの建物に教室・図書館・寮などが設備されていましたから、研究に打ち込むには最適な環境でした。密度の濃い時間を共に過ごしたイタリア人研究者とは、今でも連絡を取り合い、ローマを訪れることがあれば必ず旧交を暖める間柄。得難い友人たちです。

留学の障壁として語学力を挙げる人が多いかと思いますが、はじめから他国語を自由に操れる人はいませんし、習得の王道があるわけでもありません。とにかく時間をかけ努力すること、一人でこもらずネイティブと会話すること、そしてたくさん恥をかくこと……語学力はその積み重ねによって磨かれ、鍛えられるのだと思います。

頼ることを躊躇しない。子育ては周囲の支援の上に成り立つもの。

本学に赴任した2006年に上梓した『ロドス島の古代彫刻』(中央公論美術出版)は、7年の歳月をかけ編んだものです。アテネとキプロス島のほぼ中間、エーゲ海に浮かぶロドス島は、小国にもかかわらず、商業・軍事に長け、ヘレニズム王朝に伍する力を誇る国でした。アテネと並び、ローマ貴族たちの学府としての役割をも担っていました。しかし、文化的には複雑な要素が入り乱れ、戦争で発掘資料も散逸するなどして、美術研究の全体像をまとめあげるのは至難といわれてきたのです。紀元前7世紀から紀元後2世紀までの彫刻と彫刻家の活動を分析した本書は、期せずして地中海学会ヘレンド賞をいただきました。取り組みを広く知ってもらうことが出来ましたし、何よりも今後の研究の励みになりますね。

アカデミックな場で「女性だから」という隔てを感じたことはありません。女子学生の中には、このまま研究を続けていくには結婚や出産をあきらめなくてはならないのでは、と考える人も少なくないようです。しかし、二児の母としての経験から言えることは「なんとかなる」ということ。最近では、育児支援の制度も充実しています。急な託児など公的なサポートが望めない場面では、近所の「ママ友」に大いに助けられてきました。日本では「人様に迷惑をかけない」という価値観をとても重視します。しかし、研究で過ごしたイタリアやギリシアでは、身近な人に頼るという行為に躊躇がないのですね。そのかわり自分も他者のわがままや迷惑を引き受ける寛容さが必要とされます。ひとりで抱え込まずに、頼り、頼られ。迷惑を掛けているという自覚は十分ですが、子育ての苦労も笑い話にするぐらいの大様さを大切にしています。

優美に翼を広げ、今にも跳躍しそうな『サモトラケのニケ』。現在、ルーヴル美術館に展示されているこの有名な彫像は、ロドス島のものだという説があります。自由にしなやかに力強く、女性研究者も自分の進みたい道へ飛翔してほしいですね、勝利の女神ニケのように。

周囲の人びとの子育てへの理解が、最大のサポートかもしれない。

芳賀先生 profile
芳賀 京子
[大学院文学研究科 美学・西洋美術史研究室 准教授]
1991年3月東京大学文学部第2類(史学)卒業、同年4月同大大学院人文科学研究科修士課程入学(美術史学専攻)、1994年3月同課程修了、4月同大大学院人文科学研究科博士課程進学(美術史学専攻)、10月ローマ第2大学(トル=ヴェルガータ)にイタリア政府外務省の給費生として留学。1995年4月イタリア国立考古学研究所大学院(在アテネ)専門課程入学(イタリア政府文化財省・大学省・外務省給費生)、1998年12月同課程修了、ディプローマ取得:ギリシア・ローマ考古学、その間1998年1月~1999年3月ミュンヘン大学留学、2000年3月東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学、2002年5月博士(文学)取得(東京大学大学院人文社会系研究科)。日本学術振興会特別研究員、国立西洋美術館リサーチフェローなどを経て、2006年から現職。2006年鹿島美術財団賞、同年地中海学会ヘレンド賞。


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