vol.9
生田 久美子 [大学院教育学研究科 人間形成論講座 教授]
与えられたものではなく、自ら“選んだ”研究、そして人生を。唯一無二の輝きに照らされる道を歩んでほしい。
「おもしろくなければ研究ではない」「面白味が研究の蜜」と言い切る生田先生。その背景には、好奇心の翼を広げ、深く思索の世界へと飛翔したご自身の軌跡がありました。
「知識」とは何か。教育における新しい「知」の可能性を模索する。
研究者になったきっかけ――私の場合は、自分の関心に沿って学究の道を歩んできた、その延長上に、或いは帰結として現在の研究・仕事があるといえます。大学3年生までは、民間企業への就職を視野に入れており、私の中には研究者/教職という選択肢はありませんでした。折しも高度経済成長の時代、雇用情勢は圧倒的な“売り手市場”でしたから、何の憂いもなくキャンパスライフを謳歌していたものです(笑)。進路の岐路に立つのは、学部生4年の時。アメリカの大学で研究に取り組まれてきた村井実先生(慶應義塾大学名誉教授) のゼミで、教育哲学における言語分析の手法に触れます。これは「教える」「知っている」といった言葉が、コンテクストのなかでどのように使われて/捉えられているのかを微に入り細をうがち解き明かしていくもので、言語分析の延長上から「知」の問題にアプローチする研究です。これには目を開かされました。私は元々、物事を納得のゆくまで考え抜くことが好きな-いささか理屈っぽい-性格でしたので、まさに言葉が含むところを闡明することは、指向・志向性にも合致するものでした。
私が探究する学問領域は「教育哲学」です。たとえば、これまでの伝統的な知識観の下では「技能」や「実践」は、「事実に関する知識」に対してあくまでも二次的なもの、従属的なものとして位置づけられてきました。こうした人間の「知識」についての捉え方は必然的に教育に影響を与えます。つまり「事実の教育」と「技能の教育」との間に明確な境界を設けること(または対比させること)、そしてそれぞれ独自の目標に向かって進めていく実践が正当化されることになるのです。拙書『わざから知る』(東京大学出版会、1987/2007)の中では、古典芸能などの「わざ」の世界における教育の営みに注目して、その実践を支えているところの独自の「知識観」を明らかにすることを試みました。そして「事実の知識」にも「技能」にも包括できない、新たな「知」の可能性について論じています。
ライフイベントを仕事・研究を含むものとして捉える前向きさと柔軟性を。
「男女共同参画社会基本法」が公布・施行された翌年、本学の教育学研究科初の女性教授として赴任いたしました。私は幸いにも生育・教育環境の中でジェンダー(社会的・文化的な性の有り様)を意識させられたり、性差のバリアを感じたりしたことはありませんでした。初等教育・中等教育においては、戦後の民主主義教育の希望と期待のなかで薫陶を受けてきましたし、高等教育に至っては「独立自尊」を理念に置いた自由闊達な校風の下、伸びやかに青春時代を過ごしました。学生結婚をし、博士課程在学中に子どもを授かりましたが、マタニティウェアで校内を闊歩しても一度として奇異な目で見られたことはなかったですね。周囲にはごく自然な、当たり前のこととして受け入れられていたように思います。育児も、非常勤講師を務める傍ら、家族の協力を得、ベビーシッターや保育園を活用しながら乗り切りました。乗り切った…というよりも、子育てを楽しんだという感が強いですね。一女性として「恵まれてきた」と評されることが多いのですが、確かに置かれている環境によって、女性の立場と状況はさまざまなグラデーションを描くことでしょう。しかし、結婚か仕事か、出産か研究か、といった二者択一を前提として思い惑うことなく、ライフイベントを仕事・研究を含むものとして捉えるポジティブな柔軟性を持ってほしい。もちろん、就労、結婚・出産に関する選択の多様性を認めた上で、という前提は言うまでもありません。
“継続は力”とは研究のためにある言葉だと思えるほどで、学問・研究においては倦まず弛まず取り組むことが絶対条件です。では、困難と対峙してもなお、意欲と情熱を生む源泉はどこにあるのでしょうか。私は、好奇心を震わし、探究心を奮い立たせるような「おもしろさ」だと思っています。真に面白いと感じられる研究とは「振り分けられ」「与えられた」ものではなく、自らが「選び取った」分野・領域でこそ可能になるのではないでしょうか。そして人生も自らが選択するものです。自由にしなやかに志高く、唯一無二の自分の道を歩んでほしいと願っています。
哲学を学問するのではなく、哲学することを教えてくれた師に感謝しています。
profile 生田 久美子 [大学院教育学研究科 人間形成論講座 教授(現:田園調布学園大学)] 1970年慶応義塾大学文学部社会・心理・教育学科教育学専攻卒業、1972年慶応義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了、1979年慶応義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程単位取得退学。教育学修士。杉野女子大学家政学部教授などを経て、2000年より現職。専門は教育哲学、認知教育学。著書に『「わざ」から知る』コレクション認知科学6(東京大学出版会)、「職人の『わざ』の伝承過程における『教える』と『学ぶ』」〔『実践のエスノグラフィー』茂呂雄二・編(金子書房)〕、『スクールホーム〈ケア〉する学校』ジェーン・R・マーティン/著、生田久美子/監訳・解説(東京大学出版会)、『カルチュラル・ミスエデュケーションー「文化遺産の伝達」とは何なのか-』ジェーン・R・マーティン/著、生田久美子/監訳・解説(東北大学出版会)他多数。 |
上記インタビュー記事のダウンロードはこちらから