vol.10
山下 まり [大学院農学研究科 生物産業創成科学専攻 天然物生物機能科学講座 生体物理化学分野 教授]
1984年3月東北大学農学部食糧化学科卒業、1984年4月東北大学農学部食糧化学科食品衛生学講座技官、1989年12月学位取得(東北大学・農学博士)、1992年4月東北大学農学部応用生物化学科生理活性化学講座技官、1994年6月-1995年3月オハイオ州立大学化学科訪問研究員 (Viresh Rawal 教授)、1998年4月東北大学農学部助教授、1999年4月東北大学大学院農学研究科助教授、2004年4月より現職。専門は天然物化学、天然物生化学。2000年3月日本農芸化学会奨励賞受賞。
研究の多くは、トライアンドエラーの
重なりの上に成る。失敗の中に宿る、
成果の萌芽に注意深くありたい。
フグ毒の研究に取り組んで20年。解明が待たれる課題が山積するなかにあって、
一つひとつ地道に解決していきたいと語る山下先生。
今は仕事と研究に100パーセント全力投球。席を暖める暇もない多忙な日々が続きます。
多くの研究者が解明を目指す頂――フグはなぜ毒化する?
「フグは食いたし命は惜しし」という諺があります。これは江戸時代の中期から人口に膾炙していたようで、フグ毒は日本人にたいへん馴染みの深い生物毒のひとつといえるでしょう。人を易々と冥府へ送り込む毒(テトロドトキシン)は、フグによって生産されるのではなく、微生物由来の食物連鎖によって蓄積されることがわかってきました。また、フグのテトロドトキシンに対する耐性機構に関しても、私たちの研究によりだいぶ明らかになりました。しかし、そもそもなぜフグは毒化するのかという根幹がまだ解明されておらず、多くの研究者が目指す頂となっています。
私がこうした天然由来の生理活性物質の研究と出会ったのは、技官として研究室に配属されてから。そこでの恩師との出会いが、研究者としての道を決定付けたといえます。生体の生理的反応を分子レベルで探索していく化学と生物の融合領域は、非常に興味深く、まさに私がやってみたいと願っていたものでした。この研究では、化学構造を解明していく過程で、それまで誰も知らなかった新しい物質との邂逅があります。これが研究の醍醐味であり、未知の領域へと推進させる源泉になっていると思います。海洋生物毒の単離・構造決定や分析方法の確立は、社会貢献として大いなる価値と意義を持つものだと考えています。また、ガン細胞への反応、特定の酵素への阻害作用などもスクリーニングの対象としており、薬になるような可能性を秘める新規の生理活性天然小分子の探索も視野に入れています。
フグ毒は、1800年代後半から日本人が研究に取り組んできた分野です。しかし、近年では世界各国(とりわけ中国、台湾、韓国等)の台頭著しく、積極的な論文投稿が目立ちます。そうしたグローバルな動向と潮流も、日々の取り組みをアクティベートしてくれる要素ですね。また、私たちの研究室では、国内外の大学・研究機関との共同研究が活発です。国際的な研究ネットワークの一翼を担っているという感懐を持つことは、学生さんたちにとってもよい刺激となっているようです。
日々の研究を丁寧に積み上げながら、千載一遇のチャンスを持つ。
研究の多くは、トライアンドエラーの積み重ねの上に成ります。よく言われることですが、粘り強くあきらめない姿勢が不可欠ですし、「自分で考え抜くこと」が前提となります。真摯に情熱を持って、たゆまず取り組むことが成果への近道であるといえますが、その途上で、「行き詰まり」に突き当たることもあるでしょう。研究上の停滞を打破するには、ひとつの見方に凝り固まらないこと、発想を大きく転換させること、が必要だと考えています。それでは具体的にはどうすればよいのか――私の場合は「実地・実験に戻る」ことを常に心がけています。人任せにせず、自ら手を働かせて実験・測定に取り組むことで、新しいアイディアが降りてくるときがあります。ここで注意深くなりたいのは、新しい発見や成果は、よい結果だけではなく、時に失敗の中にその萌芽が宿るということです。私は時間の許す限り、学生さんから実験の進捗状況などを聞くようにしていますが、その際は首尾よくいった話だけではなく、失敗例にも興味と関心を持って耳を傾けています。
およそ20年、フグ毒のテーマを掲げてきた研究者として、フグがなぜ「毒化するのか」を解明するまでは、研究の場を離れられないと思っています。私たちが持ち得る時間は有限です。時間を最大限に生かす工夫と管理も必要になってくることでしょう。チャンスの前髪をしっかり掴んで逃さないためには、“握力”を鍛える必要がありますが、それはフィジカルなトレーニングと同様に、研究の日々を丁寧に積み上げることが基礎となっていくのではないでしょうか。「チャンスは、準備の整った者を好む」とはルイ・パスツール(フランスの生化学者、細菌学者)の言葉です。
[研究内容紹介]
生体物理化学分野では、動物、植物、微生物などより高い生理活性を有する低分子化合物の探索、単離、構造決定、化学誘導化および関連する蛋白質、作用機構の研究を行っています。特にフグ毒、海綿の毒、貝毒、海藻毒、両性類の毒、海藻のエイコサノイド等、海洋生物の毒や生理活性物質を研究対象に掲げています。山下先生が取り組むのは、フグ毒を中心とした有毒海洋生物の化学的・生物学的研究と、新しい生理活性天然小分子の探究。こうした基礎研究の成果は、食中毒の防止など、食品の安全確保・衛生管理に応用できると考えられています。
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