vol.23
出澤 真理 [大学院医学系研究科 細胞組織学分野・人体構造学分野(兼) 教授]
1989年3月 千葉大学医学部卒業、同年4月 千葉大学医学部附属病院研修医(第三内科入局)、1991年4月 千葉大学大学院医学研究科博士課程入学、1995年3月 千葉大学大学院医学研究科博士課程修了、同年4月 千葉大学医学部解剖学第二講座 助手、1997年4月 千葉大学医学部眼科学講座 助手、2000年4月 横浜市立大学医学部解剖学第一講座 講師、2003年1月 京都大学大学院医学研究科 機能微細形態学 助教授、2008年4月より現職。以下は受賞歴。1997年 井上研究奨励賞〔(財)井上科学振興財団〕、1999年 日本解剖学会奨励賞〔(社)日本解剖学会〕、2003年 日本顕微鏡学会奨励賞〔(社)日本顕微鏡学会〕、2011年 文部科学大臣賞〔文部科学省〕

出産・育児のライフイベントは、公的・私的支援を活用して。研究という名の舞台を降りずに、キャリアをつなげて欲しい。

近年、Muse細胞の発見で、再生医学に新しい可能性を投じた出澤先生。これまでに順風満帆な研究者人生を…と思いきや、そこには転機や育児に奮闘した時期がありました。とにかく研究の舞台に居続けること。経験者としての助言に力がこもります。

出澤先生

臨床医から研究者へ。新しい治療法の開発で多くの人を助けたい。

今でも憧憬の思い断ちがたい職業がある、というと驚かれるのですが、高校2年生までは検事か裁判官になりたいと切望していたのです。私は、父の仕事(生物学者)の関係上、中学2年生まで欧州、米国で過ごしました。言語を獲得する重要な時期に、日本でしっかりと国語教育を受けなかった代償は大きく、難解な法律文を読み解く法学部での学びは難しいと悟らざるを得ませんでした。そこで高校3年生になって急遽進路変更、医師への道を進むこととなりました。

医学部を卒業し、いざ臨床の場に臨んでみれば、それまでとは異なる感懐が湧き上がってきました。確かに患者さんと向かい合う仕事は、大きな手応え・やり甲斐のあるものですが、しかし例えば私が寝食を忘れて治療に当たっても、助けられる人の数は限られています。一方、基礎研究で新しい治療法の開発に貢献できたら、無数の人を助けることが出来ます。臨床医から研究者へ…迷いはありませんでした。

医学系の研究といっても多種多様なテーマがあります。私が医学部の学生だった1980年代半ば、「脳死臓器移植」の是々非々をめぐり大議論が繰り広げられていました。今も私たちの前に横たわる“脳死は人の死か”という命題です。そんな中、「人は脳死であっても出産が可能」という事実に触れ、“脳死”に対峙する難しさを知りました。脳死移植ではなく自己移植――それが最善最良の方法ではないかと考えるに至りました。そんな思念を決定的なものとしてくれたのが、大学院時代に出会ったサンティアゴ・ラモニ・カハール(スペインの神経解剖学者、1906年ノーベル生理学・医学賞受賞)の総説です。100年ほど前に書かれた論文には、同一個体由来の末梢神経移植による中枢神経再生の例が挙げられていました。その後、大学院博士課程では自己末梢神経による再生にフォーカスして研究を始めました。まだ再生医療などという言葉がなかった時代のこと。これが今日のMuse細胞につながっています。

日本は女性教授が珍しい? 技術立国の不名誉な評判。

臨床の場が短距離走ならば、基礎研究はマラソンのようなものです。研究テーマを立ち上げてから納得のゆくデータが得られるまで2、3年、長いものでは5年以上の歳月を要します。しかし、長く苦しいマラソンにも必ずゴールがあるように、地道な研究にも喜びや醍醐味が用意されています。その最たるは、新しい発見に立ち会えた瞬間、世界中の誰も知らない新しい事実に向かい合っている時でしょう。この時の胸のすくような気持ちは、他に比するものがないほどです。

一方、期待したようなデータが出ない時、それも私にとっては別種の楽しさがあります。もちろん落胆もしますが、「どうしてこうなったのだろう」という探究心のほうが勝ります。なぜなら一見失敗と見えることにこそ重要な事実やヒントが隠されていることがあるからです。学生さんの中には、成果を出すことに盲目的になってしまう傾向があるようですが、「失敗は最大の恩恵」であることを伝えたいですね。実はMuse細胞の発見も、失敗がきっかけとなりました。経験者が言うのですから説得力があるでしょ(笑)。

海外で、私が教授職にいることがわかると、珍しがられることが多いのです。我が国は世界に名だたる技術大国である一方で、残念なことにジェンダー平等後進国として知られています。そのような“日本像”が世界中で跋扈していることは残念でなりません。女性は結婚、出産、育児、介護…など、折々のライフイベントで研究の継続が難しくなる時期があるかと思いますが、支援制度などを大いに活用して、キャリアをつなげて欲しいですね。私は内科の研修医時代に結婚しましたが、公的サービスや私的サポートを受けて、楽しく子育てしました。大学にいられる時間はどうしても少なくなりますが、文献に当たったり、あれこれ考究したりすることは、自宅でもどこでもできます。研究の舞台から降りないこと――これも経験者からの助言として付け加えておきましょう。


研究内容紹介

[研究内容紹介]
幹細胞の分化転換メカニズムを分子レベルで解明することを通じ、幹細胞生物学と再生医学への貢献を目指す出澤先生。2010年春には、成人ヒトの皮膚や骨髄などにある組織や細胞(間葉系組織,あるいはヒト培養線維芽細胞,骨髄間葉系細胞)からiPS細胞(万能細胞)の元となる細胞を効率的に抽出し、増殖させる技術を開発したことを発表し、世界の耳目を集めました(共同研究者:京都大学藤吉好則教授)。Multilineage-differentiating Stress Enduring cell (Muse細胞)と名付けられたこの多能性幹細胞は、そもそも生体内に存在することから腫瘍化の危険性が低く、iPS細胞の課題(遺伝子組み込みにより、癌化の可能性が高まる)を解決するものと期待されています。マウスによる実験では、組織再生に寄与することが明らかとなっており、Muse細胞を用いた新しい治療法の開発が待ち望まれています。

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