vol.39
黒川 紘子 [生命科学研究科 生態システム生命科学専攻 進化生態科学講座植物生態分野 助教]
1999年 横浜市立大学理学部環境理学科卒業、2001年 京都大学大学院理学研究科生物科学専攻植物学系修士課程 修了、2004年 京都大学大学院理学研究科生物科学専攻植物学系博士課程 修了。博士(理学)。2003年-2005年 日本学術振興会特別研究員(DC2およびPD)、2005年-2008年 日本学術振興会特別研究員(PD)、2005年10月-2007年5月 ニュージーランド ランドケアリサーチ研究所 生態系プロセス研究部 研究員(日本学術振興会特別研究員として在外研究)、2008年-2009年 横浜国立大学GCOEフェロー、2009年-2011年1月 東北大学GCOE助教、2011年2月より現職。
長い進化の過程で形成された“生物多様性”。
様々な種が共生することの豊穣さと利点、強み。
今こそ、自然の英知に学びたい。
東北大学生態適応グローバルCOE(2008年4月-2013年3月)」の研究成果として上梓された書籍『生態適応科学』。その副題「自然のしくみを活かし、持続可能な未来を拓く」に表されるように、生物や生態系が本来持っている「適応力」に、持続可能な社会の構築に向けたヒントがあるといいます。
熱帯林の植物たちの生き様を追う。地上60メートルの研究フィールドへ。
人跡まれな熱帯林をかき分けて進む、迎えてくれるのは色鮮やかな花々や個性豊かな昆虫、深い緑を揺らすのは姿見えぬ動物の咆哮――密林で紀行ドキュメントさながらのフィールド調査を繰り広げているのが黒川先生です。「ある程度は調査環境が整えられている場所にいきますが、未開発の原生林へ調査に行くこともあります。生物多様性の宝庫と言われる熱帯林には、たくさんの生物が生息しています。私の研究対象である植物は、自ら移動できませんから、芽吹いた場所で、太陽の光を得るための生存競争を繰り広げなければなりません。暗い林床でじっと耐える種もいれば、60~70メートルもの樹高になる種もあります。植物生態学の最後の研究フロンティアといわれている熱帯林の”林冠”(森の上部)にアクセスします」。地上60メートルでの観察、足がすくみそうです…。「調査プロットには、樹冠まで梯子を取り付けた何本かの樹を結ぶ吊り橋のような回廊(canopy walkway)が設置されていたり、建設現場で見かけるようなクレーンとそこから水平に突き出したジブ(腕の部分)の先にゴンドラを取り付けたものが設備されたりしています。まさに空中散歩道ですね。胸がすくような、わくわくする眺めです」。
黒川先生が、熱帯林や地球環境に興味を持ったのは小学校中学年の頃。「科学雑誌を通じて、たくさんの種類の動植物を擁する熱帯林の存在を知り、とても興味をひかれました。それと当時は、植物を枯死させる酸性雨、そして地球温暖化や生物多様性のトピックが盛んに取り上げられるようになった時期でした。おのずと環境にも目を向けるようになっていきましたね」。熱帯林の研究がしたい、その念願がかなえられるのは大学院に入ってから。「京都大学生態学研究センターでは、生態学の様々な部門や領域を標榜する研究者同士が、垣根を越えて横断的にディスカッションすることが活発で、とても刺激を受けました。教員と学生の関係もトップダウンではなく、共に真理を探究する同志として切磋琢磨し合う文化がありました。ここでの経験は、それまで持ち得なかった見方や視点、研究の新しい視座を養うことにつながっていきました」。
多様であることが、環境変動リスクを最小限にとどめ、生態系機能を安定させる。
マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)にある52ヘクタール(東京ドーム約11個分)の調査プロットでは、1200もの樹種を見出すことができるのだといいます。低木も含め日本全国に生息する樹木は1300~1700種といわれるそうですから、その多さには驚かされます。「各種が少しずつ生態を変えて共存しているのです。明るい場所で早く成長して速やかな世代交代をしている種もあれば、暗いところで昆虫や菌類の攻撃にじっと耐えて長生きする種もいます。そういった生き方の違いは、植物の形態的・生理的な特徴〔形質〕に表れます。形質は、競争や環境に応答した結果なのですが、逆も真なりで、形質が生態系の機能(土壌形成、炭素・栄養塩循環など)に影響を与えています。興味が尽きません」。そうした自然の複雑な振る舞いの中に、特定のパターンを見つけようとしている黒川先生ですが…。「野外では様々な影響や干渉がありますし、容易なことではありません。でもその難しさが、この研究の面白さでもあるのです」。一方で、理解が進んでいることもあります。「“様々な特性を持つ、多くの種がいる”生態系を保つことは、予測の難しい気候・環境変動に備えるためにとても重要です。つまり環境変動に対する応答が種によってさまざまであれば、どれかが生き残り、生態系機能を保てる確率が高くなります」。
1993年には「生物の多様性に関する条約」が発効しました。「熱帯林は未知の遺伝資源を有しています。その活用に際し、(利益の配分などを巡り)危機感を抱く資源保有国もあります。事実、外国人研究者の調査立ち入りが制限された期間もありました。私たちとしてはこれまでも、そしてこれからも、知見や技術の共有を含め、森林資源国の研究者と共に取り組んでいきたいと考えていますし、何よりも研究成果であるところの科学的データと理論を国際社会にフィードバックしていくことが、熱帯林を“研究の庭”としてきた私たちに課せられていることだと思っています」。そして多様性への考察は人間社会にも。「男性・女性にとらわれず、個性豊かな多様な人材を組織することによって、思考が活性化し、創造性が向上していくのではないでしょうか」。――自然に学び、社会に実装できる知恵、まだまだありそうです。
[研究内容紹介]
生態学とは、生物とそれらを取り巻く生物(餌生物や競争相手)、あるいは気候や土壌といった非生物的な環境との相互作用から生まれる様々な疑問に答える学問です。例えば、動くことのできない植物は生育環境に応じた特性を備えており、周囲の環境もまた植物からの影響を受けています。黒川先生は、そのパターンやメカニズムを明らかにする取り組みを通じて、樹木群集の生態系サービス(食糧や水の供給、気候や洪水の制御、精神的・文化的価値、土壌形成など、人間が生態系から得ている利益)を定量的に評価/予測する方法の構築を目指しています。温暖化や人為的な二次林化などの撹乱が森林群集をどう変えて、最終的にどのように生態系機能を変化させていくのかーそれらを明らかにするためにマレーシア、タイ、ニュージーランド、八甲田の森林を巡っています。
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