vol.40 [研究者対談]
仕事か出産か、ではなく、仕事も出産も。 “2児の母にして研究者”である経験を、若い世代に伝えていきたい。(沼山)
東北大学・青葉山キャンパスの木々が、落葉を始めた11月、おしゃれなブックカフェとして知られるBOOOKに4名の女性研究者が集まりました。ゆっくり言葉を交わすのは初めてというメンバーでしたが、お互いの研究内容に始まり、科学技術に興味を持った原体験、そしてロールモデルとしての使命と責任など、様々な話題が飛び出しました。
人体に安全な近赤外光の可能性を探る。将来的に医療支援につながっていく研究です。(升谷)
沼山 私を含め、本日お集まりいただいた先生方は、専門分野が全く異なるのですが、『杜の都ジャンプアップ事業for2013』の新規採用者として物理的・精神的なサポートを受けて、工学系部局で研究・教育を行っているという共通点があります。まずは自己紹介として研究内容についてお話しいただきましょう。
李 私は、金属原子の拡散現象を有効利用した、金属ナノワイヤの創製に関する研究に携わっています。その背景を少し説明します。太陽電池やタッチパネル等の次世代光電デバイスには、透明電極が不可欠です。しかし、現在普及している透明電極は、製造プロセスが複雑であったり、その多くを輸入に依存するレアメタル(インジウム)が使用されていたりするなど、解決が待たれる課題も多いのです。一方、金属ナノワイヤからなる透明導電膜は導電性・透明性・柔軟性を持つため、現在の主役である酸化インジウムスズ透明電極の代替材料として注目を集めています。そこで金属原子の拡散現象を活用した金属ナノワイヤの創製を目指しています。原子拡散現象は満員電車を思い浮かべてもらえるとよいと思います。私たちは混雑している電車に乗る際、より空いている方に移動しますよね。それと同じように応力勾配を発生させて、応力の高いところから低いところへと、原子を意図的に集約させるという方法です。
土岐 私は建築デザインが専門です。「よい建築/よい都市とは何か」という私たちに課せられている根源的な問いに対して、都市リサーチで抽出された要素(地域に固有の自然、歴史、文化、産業経済など)を建築デザインに反映させていくという手法でアプローチしています。調査・評価の対象となる都市は広いエリアですから、一人では難しい研究なんですね。計画を立ててフィールドワークを進めていくわけですが、他の研究者や学生さんとの協働によって、自分にはなかった視点や思考に触れることも多く、思いがけない発見があります。それがとても興味深く面白いのです。
升谷 “これまではかれなかったものをはかれるようにする”研究にチャレンジしています。物質を質的かつ量的に、正しく測る/量る技術は、テクノロジーの発展の根幹を支える重要なものです。また、私たちの身の回りの環境を分析したり計測したりすることは、社会安全という観点からもとても大切になってきます。私が現在、手掛けているものに、「近赤外光」を吸収する造影剤の研究があります。近赤外光は、生体を構成する成分によって吸収されないため、生体透過性が高いという特長を持っています。X線や紫外線などと違って人体に照射しても悪影響を及ぼしません。将来的に医療支援につながっていく研究ですから、とてもやりがいがあります。
沼山 近赤外光は、私も先週の生体イメージング実習に使用したばかりなんですよ。私は、5年前に国内初の大学院研究科として本学に開設された医工学研究科で、主に人材育成を担当しています。医工学は、医療機器の開発など、工学と医学が連携し融合することにより発展する境界領域ですが、専門外の人と”言葉が通じない”ことがネックになっています。生体組織の硬さを表現するのに、医療の現場では「ちょっとやわらかい」で通用するところを、工学系では弾性率を数値で示さないと話にならないなど、考え方の根本から違っているのです。この工学と医学に橋を架けることが私の使命で、実習や施設見学を通じて社会人の方も含めた理工系の出身者に医学・生物学を経験的に身につけてもらえるような教育を実践しています。
『不進則退』、安定ではなく挑戦、そして向上を。さらなる研鑽に向けて海外の大学を目指しました。(李)
沼山 私は小学生のころから、(実験用の)白衣を着る仕事に就きたい! と考えていたのですが、みなさんはいつごろから研究者ということを意識されたのですか?
升谷 科目としては、化学や物理が得意でした。今思えば教科書の知識にとどまっていたのですね。目を開かせてくれたのが、高校生の時に聴講した本学工学部の化学・バイオ工学科の先生の講義です。『化学と生物を融合させた研究によって、暮らしを豊かに、また社会を大きく発展させることができる』という趣旨のお話に触れて、“社会とつながる研究者”という存在を強く意識するようになりました。
沼山 私も高校生に向けて、医工学や生命科学という融合領域を紹介するアウトリーチ活動に取り組んでいます。升谷先生のような生徒さんもいるかもしれませんね。身が引き締まる思いです。李先生はいつごろ来日されたのですか?
李 2007年10月です。母国では、出身大学で助教の職に就いていたのですが、これから10年、20年のことを考えると……安定はあるけれども、新しい展開があるようには思えなかったのです。さらに向上するためには、海外に飛び出して、研究を深めなければと焦りにも似た思いを抱きました。そうした考えの根底には、父が教えてくれた『不進則退』があるように思います。これは「進まざれば、すなわち退く」という意味の言葉で、不断の努力の重要性を説いています。複数の国に留学の申請をしたのですが、一番初めに返答が来たのが日本でした(笑)。もちろん最初は言葉の壁に苦しみましたが、指導教員が親身になって指導してくださり、とても助かりました。“漢字”で意味を類推できますから、話すよりも読む方が楽です。
土岐 私は建築模型を作るのが大好きで、小学生の頃から建築家になりたいと思い続けてきました。どれぐらい建築模型好きだったかというと、夏休みの工作としてマッチ棒で教会を作ったほどでした(笑)。それとテレビのドキュメンタリー番組を通じて、『スペインにあるサグラダ・ファミリア聖堂は設計者のアントニ・ガウディによって、ひとつの巨大な楽器として構想されていた』ということを知り、「世界にはいろいろな建物がある!」と建築家への憧れを加速させていった記憶があります。
沼山 まさに「人に歴史あり」ですね(笑)。私が入学したのは理学部化学系ですが、学部4年生の講座配属で生物化学の研究室を選んだら、実際に行われていたのは分子生物学の研究だったという経緯で専門分野が変わりました。こうした化学から生物への分野替えの経験は、融合領域である医工学の指導にも生かされているように思います。
疲弊する地方都市の新しい社会モデルを模索。
いずれ社会にフィードバックできる知見を構築したい。(土岐)
沼山 私は修士課程在学中に、出産というライフイベントを経験しています。『杜の都ジャンプアップ事業for2013』と二本立てで進められているプログラム『杜の都女性研究者ハードリング支援事業』のサポートを受けつつ、家族と研究室の理解と協力の下に、私なりのキャリアを積んでこられました。私が教授からよく言われたのは「1日は24時間しかないのだから、できないことはほどほどで諦めなさい」ということです(笑)。研究者は、責任感が強いあまり、一人で抱え込む傾向があるようですが、それでは早晩、破綻してしまいます。周囲に助けてもらうことを躊躇わないで、どんどん頼った方がいいですよ。
升谷 研究室には女性の先輩がいないのですが、同性ならではのアドバイスが欲しい時もあります。『杜の都ジャンプアップ事業』では、女性研究者同士の交流の場として沢柳フェローとのランチミーティングがあり、有益な助言をいただけるよい機会となっています。その折、田中真美先生(医工学研究科)から『駆け出しの頃は、どうしても上司である教授の背中を追いかけることになるけれど、斜め45度の角度で自分の方向性・オリジナリティを出していっては』というアドバイスがありました。
李 私もそのお話を覚えています(笑)。また、科研費(科学研究費助成事業、日本学術振興会)を獲得された先生方の助言をいただき、申請書を拝見する機会もあり、とても参考になりました。成功例と自分が作成したものと比較して、不足している点が客観視できました。
土岐 『杜の都ジャンプアップ事業』では新規採用者向けの研究費支援もあり、心強いです。私は東日本大震災の被災地の復興計画に携わっていますが、当該地域の多くは、少子高齢化や労働力の減少、中心市街地の空洞化、産業の衰退、さらには限界集落など、他方都市ならではの課題を以前から有しています。このような町は日本各地に顕在します。ですから単に再興させるということではなく、日本の地方都市の新しい社会モデルも視野に入れなければなりません。いずれ社会にフィードバックできる知見を構築することが目標です。
沼山 私も、これまでに受けてきた数々の援助に対して、社会貢献という形で恩返しができたらと…といつも思っています。日本における女性研究者の割合は、欧米と比べて未だ低い状況にありますが、10年前と比較してみると、仕事・子育ての両立支援制度も職場環境も、そして社会意識も、女性が働きやすいように格段に良くなってきたと実感しています。私たちもロールモデルの一員として、女性が研究者として働くことができる環境や様々な支援体制の充実、研究のやりがいや面白さを社会に積極的に発信していきたいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
沼山 恵子 [大学院医工学研究科 医工学専攻 准教授]
1991年宮城県古川女子高等学校卒、1995年東北大学理学部卒、2001年 同大学院理学研究科化学専攻博士後期課程修了。博士(理学)。生命科学研究科、医学系研究科、工学研究科、医工学研究科の研究員・助手・助教等を経て、2012年より医工学研究科准教授。専門は分子生物学と医療工学人材育成。二児の母。
李 渊 [大学院工学研究科 ナノメカニクス専攻 助教]
1997年河南省内郷県第五高等学校卒、2001年西南農業大学(現西南大学)工学部卒、2004年重慶大学大学院工学研究科修士課程修了。2004年より西南大学工学部助教。2011年千葉大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。2011年より工学研究科ナノメカニクス専攻助教。
升谷 敦子 [大学院環境科学研究科 自然共生システム学講座 助教]
2003年宮城県第一女子高等学校卒、2007年東北大学工学部分子化学工学科卒、2012年同大学院環境科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。2012年より環境科学研究科助教。
土岐 文乃 [大学院工学研究科 都市・建築学専攻 助教]
2001年青森県立弘前高等学校卒、2005年筑波大学芸術専門学群卒、2007年同大学院芸術研究科修士課程修了、2012年同大学院人間総合科学研究科博士後期課程修了。博士(デザイン学)。2012年より工学研究科都市・建築学専攻助教。石巻市震災復興計画推進事業アドバイザーとして、被災地の復興支援に携わる。
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