vol.43
末松 和子 [国際交流センター グローバルラーニングセンター 教授]
米国ニュージャージー州ラトガース大学経済学部卒業後、ニューヨークで総合商社に勤務。その後、インディアナ大学言語教育学科にて修士・博士号を取得。専門分野は留学生教育、国際教育、異文化間教育。東北大学大学院経済学研究科国際交流支援室の留学生担当講師、准教授を経て2013年より現職。大阪府出身。

経験はその時だけにとどまらない意味と意義を持つ。立ち塞がる文化の違いと言葉の壁に苦悩した若き日々が、その後の研究・教育の基軸を成す。

「研究も仕事も家庭も、すべて“自分の人生として引き受けた”こと。困難に対峙しても冷静に理性的に、解決の方法を模索し、実行するに尽きます」と末松先生。特に子育てなどは思うに任せられないことだらけ。だからこそ「ぶれない軸」を持って向かい合うことが大切、と説きます。

末松先生

努力と成果に報いる、柔軟でダイナミックな米国の教育制度に感銘。

海外へ飛び出す――現在では経験者やインターネットを通じて、たくさんの事前情報や知識を得ることができます。しかし、末松先生が、米国の大学に学部進学した当時、大きな志を支える情報やサポートは小さく頼りないものでした。「留学はまだ一般的ではなかったので、情報収集するにも所轄機関に手紙を書いて照会するなど、すべて手探りで進めなければなりませんでした」。そして今となっては笑い話ですが…とお話しくださるのは言葉の壁です。「無事、入学できたものの、目をつぶって聴講していると、哲学なのかマクロ経済学なのかわからないといった体でした」。大学に日本人学生は一人、涙とは無縁ではいられない日々…それでも前進する意欲を支え続けたものは何だったのでしょう。「広い世界を見るべき、と理解を示して送り出してくれた両親の期待に応えたい気持ちが大きかったように思います。若いということは、知性にも感性にも柔軟性があるということです。環境に順応し、英語力もつき、そのうちクラスメートたちと冗談を言い合うようになりました」。そして感銘を受けたアメリカの教育制度。「日本の場合、例外はありますが、大学受験後の入口と出口は同じです。でも米国では成績や研究成果によって、大学を替わりステップアップすることができるんですね。現在、日本では受験対策として比較的早期に理系・文系を決める事への議論があるようですが、確かに大学入学後に興味・関心を持つ分野が変わったり、別の領域に志向性や適性を見出したりすることもあるでしょう。人的資源としての資質・能力・可能性を取りこぼさないという意味でも、弾力性のあるダイナミックな制度だと感心しました」。努力が報われる米国の“開かれた”教育制度は、学問する意欲を喚起してくれたと末松先生は述懐します。

経済学を修めた後は、ニューヨークで商社に勤務します。誰もが活躍を訝しんだ“英語を母国語としない女性で新人、営業担当”。しかしハンデを吹き飛ばす働きぶりで成果を挙げ、大きなプロジェクトを任せられるまでに。「ビジネスでの成功には、給与で報います、といういかにもアメリカ的な報酬体系を目の当たりにしました。同僚の中には競争心を隠さない人もいて(苦笑)、愉快なことばかりではありませんでしたが、経済学の学びを実践に移すことができ、よい経験となりました」。

働き続けることは当たり前。どういうフィールドで持てる能力を発揮するのか。

「私の周りのロールモデルたち。例えば母は、私が物心ついた時からずっと政治家として働き続けていますし、親族の女性もその多くが教育関係者です。一生働くことに何の疑問もなく、むしろ自分はどういうフィールドで潜在力を発揮できるのか、ということの方が重要でした。商社での仕事もやりがいがありましたが、もっと社会に貢献できることに取り組みたいと思い始めたのです」。末松先生が選択したのは再び大学に戻り、異文化間教育の考察と研究を深化させていくことでした。「“経験はその時だけにとどまらない意味と意義を持つ”といいます。多くの困難や孤独と対峙した留学生としての体験を、同様の立場にある学生さんたちの教育と支援に生かすことはできないかと考えたのです」。博士課程在籍時には、留学生と米国学生相互の異文化理解を促すメンタープログラムを発案、実際に導入しました。末松先生が卒業した大学では、現在も単位取得可能なゼミとしてカリキュラム編成されています。「今でも当時の指導教官に会うと『カズコの置き土産だね』と言われます」。

「本学には小学校2年生と1歳児の二人の子どもを抱えて、一人で着任しました(当時ご主人は仕事の関係で米国在住)。学内保育園『川内けやき保育園』に預けながらの勤務でした。朝3時には起床して、授業の準備や論文執筆、料理や子供の世話をする、という毎日でしたが、つらいと思ったことはなかったですね。すべて“私の人生として引き受けた”のですから」。でも、時にはお子さんに「寂しい」と訴えられることも。「母としてそれが一番辛いですね。そんな時、私は素直に謝るのです。そして自分の仕事については包み隠さず何でも話します。留学生を介して知るデリケートな国際問題も、です。それが奏功したのかどうかわかりませんが、多様性を理解する国際人としての視座を養ってくれたようで、うれしく思っています」。三時のおやつは作ってあげられなかったけれども、親として、そして何より人間として伝えなければと思うことには真剣に取り組んだ、という末松先生。「『子どもは親の背中を見て育つ』といいますが、お互いにコミットし、向かい合うことのほうが大切なのでは」と結びました。


研究内容紹介

[研究内容紹介]
国際交流センターは、主に海外からの留学生の教育支援と、本学の学生を海外協定校に派遣する際の手続きやサポートを行っています。なかでも最も力を注いでいる活動の一つが、文系の短期留学プログラムの改善・拡大です。末松先生は統括責任者として(各文系学部に対して)留学生受け入れへの理解と協力を求め、拡充のための学内交渉を続けてきました。 教育面では、日本の大学ではあまり前例のないPBL(Problem-Based Learning)型共修授業を導入。これは、ひとつの課題に対して、日本人学生と留学生が一緒に議論を重ね、その解決に向けて取り組んでいくものです。その教育効果を研究し、さらに実践の場にフィードバックさせていくことを繰り返し、PBLの技術と効用を深めていきたいと語ります。

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