vol.44
宮岡 礼子 [理学研究科 数学専攻 教授]
1969年 東京都立戸山高等学校卒業、1973年 東京工業大学理学部数学卒業、1975年 同大大学院理工学研究科修士課程修了。1983年 理学博士(東京工業大学)。東京工業大学理学部助手、同大大学院理工学研究科助教授、
上智大学理工学部教授、九州大学数理学研究院教授を経て2007年より現職。専門は曲面論、超曲面論、可積分系、特殊幾何学、G-構造論。[デュパン超曲面および極小曲面に関する研究業績]により2001年 日本数学会幾何学賞受賞。
証明を探究する数学の世界と、正解のない育児。試行錯誤の繰り返しが、やがてベストになると信じて。働く母よ、“しなやかに”強くあれ。
少しでも若い女性たちの参考になれば…と、ご自身の育児の経験を率直にお話しくださった宮岡先生。ワーキングマザーがごく少数派だった当時、奮闘する姿をみた同僚からの評は「意外に強いんですね」―。ことほどさように子育て期は“しなやかに強く”あらねばなかったのです。
用意された解を目指す学びから、純粋数学の遥かなる深淵に挑む研究へ。
中学・高校時代を通じての好きな科目は、英語・音楽、数学。特に数学は、新学期に教科書が配布されると、すぐに自力で全部の問題を解いていたのだとか。「理系の系譜なのですか、と訊かれることもありますが、 母方の祖父が海軍の技術将校で長くイギリスにいたということぐらいでしょうか。両親は教育に関しては放任主義に近く、私にとってはとてもよい環境だったわけです(笑)」。のびのびと興味・関心の赴くままに育まれた知的探究心は、 数学の分野で発揮されていきました。そして理工系教育・研究でつとに聞こえた大学へ。「850名の入学生の内、女子学生は5名。現在、同大学の学部生の女子の数は3桁になっています。それでも諸外国に比べれば少ないのですから、私たちの時代は前時代的ですね」。入学当時は“時代の風”が吹き荒れていました。「大学紛争の影響で前期の授業がなかったので、同じ高校出身の同級生たちと集まり、自主勉強していました」。この時期の収穫は、自学する姿勢が身に付いたこと、と語る宮岡先生。「講義に出ないクセまでも付いてしまったのは誤算でしたけれど(笑)」。
そうして学びを積み重ねていくうちに、純粋数学の遥かなる深淵をのぞき込むことになります。「学部生までの数学は、解が用意されている問題に取り組めばよいのですが、 大学院では解けるかどうかわからない問題と相対することになります。学究の分水嶺を越えるような体験でした」。しかし“美しい定理”は数学者を捉えて離さない魅力があるようです。「数学が好きだからこそ、どんなに難しい問題にも飽かずに取り組んでこられました。没頭すると気がつけば夜が明けていたことや、寝ていても夢に出てくることもあります」。長らく数学の世界に身を置いた者として言えることは、と宮岡先生は続けます。「若い頃は往々にして自身の研究を過小評価したり、逆に過剰な自負心を抱いたりするものですが、数学につまらない問題は一つとしてないし、逆にどんなに背伸びをしても到達できない域もあります。畏敬の念を抱きつつも、遠くに目標を置き、挑戦し続けることを忘れてほしくはないのです」。
研究と子育てを両立させる難しさ。それでも母となることを諦めないでほしい。
最近、ハイインパクトジャーナルに論文が掲載され、宮岡先生の元には世界中からの反響が届いています。「中にはクレームのようなものもありますが、それも興味・関心の発露ですから、有難く拝受しています」。まさに豊かな充実期にある宮岡先生ですが、ここに至るまでには“なりふり構わず”過ごした時代もあったと述懐します。博士課程1年を終えて助手になり、国際研究集会での発表がきっかけでドイツに1年招かれ、そこで出会った同業のご主人と結婚。帰国後は次々と3人の子宝に恵まれました。「私は人の3倍ぐらい長く助手の職にありましたが、それは育児に追われた時期でもあったのです。『三歳児神話』、つまり3歳までは母親が抱っこして育てるべし、という薫陶を受けた世代ですから、正直、子どもを預けることに抵抗があったんですね。夫と、自宅の近くに住む実母の助けも借りて、なんとか家族で子育てしていたのですが、夫の長期海外出張で、いよいよのっぴきならず、保育所と学童保育の公的機関を利用することにしました。子どもたちもやがて慣れて楽しそうでしたし、母親同士のネットワークもでき、これも育児の一つの形だ、と思えました」。
本とノートとペンがあれば、とこでも研究できるのが数学の利点、と常々学生さん相手に説いていた宮岡先生。それがあだとなったこともあります。「仕事を自宅に持ち帰るのが常だったのですが、そうなると家族団らんの時間でも、ついつい数学を頭の片隅で考えていたりします。それを子どもは敏感に察知するんですね 。『100パーセント私の方を向いていなかった 』と、長じて社会人となった今も指摘されます。大人の都合を押し通すのではなく、幼い子どもたちの気持を慮るべきだったと反省しています」。それでも授乳しながら思いついた成果で、後に幾何学賞を受賞されることになるとは、まさに研究者魂を見る思いです。 「30年前はワーキングマザーへの理解が少なく、心無い言葉を浴びせられることも多々ありました。人びとの認識が変わり、出産・育児支援が拡充される昨今でも、 研究/仕事と子育ての両立は、容易なことではないでしょう。それでも女性が子どもを産まなければ人類は滅びるのですから、子どもを産んでほしいと思っています」。数学者としての顔と、母としての姿が美しく調和する宮岡先生から女性たちへ贈る心温かなエールは“しなやかに強く優しく”です。
[研究内容紹介]
宮岡先生が一貫して興味を持ち続けているのが、イタリアで幾何光学として始まった波面の幾何学です。波面は高次元の球面内で考えると、最も基本的な主曲率一定超曲面の分類が未だ完成していません。近年、宮岡先生はその中で一番複雑なものが“ただ一つ”しかないことを証明しました。 論文はAnnals of Mathematics (注:プリンストン大学・高等研究所から発行される世界で最も権威ある数学誌のひとつ)に掲載され、世界中から多くの反響が寄せられました。この題材は物理現象に関係しており、モーメント写像での記述やラグランジュ交叉の計算に応用できると期待されています。抽象論は耳目を集めるものの、なかなか具体例が計算出来ない現代数学において、古典論が重要である事を示唆する好例とされています。
上記インタビュー記事のダウンロードはこちらから