vol.28
関口 仁子 [大学院理学研究科 物理学専攻 准教授]
1997年 東京大学理学部物理学科卒、同年東京大学大学院理学系研究科進学、2002年 同大学院博士課程修了、博士(理学)。2002年 理化学研究所 加速器技術開発室 基礎科学特別研究員、2005年 理化学研究所 本林重イオン核物理研究室 協力研究員、2007年 独立行政法人理化学研究所 仁科加速器研究センター 仁科センター研究員、2010年4月より現職。以下受賞歴、2003年3月 第9回原子核談話会新人賞〔原子核談話会〕、2004年2月 井上研究奨励賞 〔(財)井上科学研究振興財団〕、2007年6月 IUPAP Young Scientist Prize〔IUPAP(国際純粋・応用物理連合)〕、2008年3月 第2回日本物理学会若手奨励賞、2008年4月 平成二十年度文部科学大臣表彰・若手科学者賞。

師・先輩、プロジェクトを支えてくれる研究仲間、
そして世界最先端の実験設備。
興味ある対象を究理できる研究環境に感謝。

24時間1週間、加速器は走りっぱなし。体力勝負の実験にあって「女性だから」という甘えは禁物。若くして数々のプロジェクトを率いてきた関口先生は「まわりの方々のお力添えあってのことです」と気取らず飾らず。明朗闊達な自然体で、原子核物理の難壁に挑みます。

関口先生

歴史好きの夢見る少女が、物理の難関「三体力」の世界へ。

算数が得意だったり、生物への興味があふれんばかりだったり……理系の研究者の資質や志向性は、幼少期や学童期にすでにその萌芽を現していることが多いようですが、私は歴史のことばかりを考えているような子どもでした。好きな時代は平安時代。華麗な装束を身にまとったお姫様を主人公に、頭の中でいろいろな物語を紡いでいました。“妄想”といったほうがよいかもしれませんね(笑)。

私が学んでいた中高一貫の女子校は、理系女子=リケジョが多いことで知られており、高校2年時の日本史か物理かという科目の二者択一により、理系・文系が峻別されていきます。これまでの話の流れからすると、当然日本史を…という展開になろうかと思いますが、物理を選択。実は、中学に入ってからは歴史に加えて哲学にも関心を抱くようになりました。哲学と自然科学は、分かちがたく結びついています。真理の奥をたずね、突き詰めていくはどういうことなのかを思索するうちに、物理学からのアプローチを意識し始めたのです。

私の専門である「核子間三体力(以下、三体力)」について簡単にご説明しましょう。原子核を構成する陽子と中性子は、中間子という粒子を媒介することで強く結びつく、という中間子論が提唱されたのは1935年(これにより湯川秀樹は、1949年にノーベル物理学賞を受賞)。以後、原子核は二つの核子(陽子と中性子の総称)の間で働く「二体力」で説明出来ると理解されてきました。一方で、ある一つの核子が二つの核子に近づくことによって新たに生じる「三体力」の存在も長く予想されてきました。しかし、実験的な検証が難しく、長らく研究は進展しなかったのです。理論計算と実験が同じ土俵に立ち、両輪をなした研究が進むことにより、核力というものを厳密に記述できるようになったのが1990年代後半。三体力も定量的な議論のフェーズに入ってきました。大学院に入ったばかり頃、「関口君、やってみるかね」という指導教員のひと言で、三体力の世界に、文字通り身を投じることになったのです。

実験は“研究の母”。
シャットダウンによる研究継続のピンチを乗り越えて。

原子核の機構を理解する三体力の研究は、非常にベーシックで地味な分野です。現在では原子核の性質を説明する上で、三体力は必須となりましたが、私が取り組み始めた頃は、マイナーという言葉を当てはめたくなるような状況でした。しかし、誰も手掛けていない領域に切り込んでいくという試みは、私を発奮させるのに十分なものでした。実験のアイデアを出して、課題を定め、装置を動かし、計算値を理論値と比較。その結果を受けて、徐々に手法を拡張していく……そうした営々とした積み重ねによって、三体力効果の機構を少しずつ詳らかにしていきました。晴れやかに思えた研究環境が曇り始めたのは2005年。これまで使用してきた実験設備がシャットダウンされることになったのです。実験にこだわる研究者としては、翼を折られるも同然です。他の分野に転ずるか、それとも三体力の真の研究価値を訴求し、なんとか活路を見出すか――。まさに研究者としての岐路に立たされました。すると幸いにも時を同じくして、三体力の研究意義と重要性が謳われるようになってきたのです。私が、世界的な若手物理学会賞を受賞したのもこの頃。こうした追い風を受けて、次世代重イオン加速器施設「RIビームファクトリー」(理化学研究所)の建設が進み、2009年の初実験にこぎ着けました。

加速器の実験は走り出したら24時間1週間続き、まさに体力・気力・胆力の勝負となります。持久力や活力は、研究を成立させる基本条件ですし、「女性だから(できません)」という甘えは、引き出しの中にしまわなくてはなりません。しかし、どんな職種・業界にあっても社会で働くということは、「個」としてどのように組織やチームに貢献できるかを考量し、責任を果たしていくことなのではないでしょうか。

私の研究は、原子核の中で起こっていることをストーリーとして創造(仮設の構築)することから始まります。思索のフィールドは全く異なりますが、それは平安時代の物語を飽くことなく夢想していた小さな頃を思い起こさせます。そう考えると、私の嗜好や志向性の中心=核は変わることがなかったようですね。


研究内容紹介

[研究内容紹介]
関口先生のご専門は、原子核物理学(実験)。核力の統一的な理解に欠かせないとされる、物理学の難関・核子間三体力の研究に取り組んでいます。原子核は陽子と中性子で構成され、その粒子(陽子や中性子)間では核力が働いています。核力は、湯川秀樹が1935年に予言した中間子論に基づき、二つの核子間で働く力「二体力」として理解されてきました。しかし原子核の現象は、二体力の積み重ねだけで記述できるわけではなく、三体力が介在していることが長らく議論されてきました。三体力発現の証拠が示されてきたのは、理論および実験が著しく発展した1990年代後半から。日本の大学および研究機関は、三体力研究において世界でも先導的な役割を果たしています。現在、関口先生は次世代加速器施設「RIビームファクトリー」(理化学研究所仁科加速器研究センター)を舞台に、偏極重陽子ビームによる研究プロジェクトのリーダーを担っています。

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